AIに頼んだら、その場でブログの管理画面ができた。 問題は、そのあとだった。
記事の一覧があって、タイトルと要約とタグを入れる欄があって、本文を書くと 公開用のファイルがプレビューされて、ボタンひとつでコピーできる。 WordPress の管理画面を、自分のブログ用に小さく作り直したようなものだ。
オッすごい、と思った。けどその次の瞬間、「自動化するのに、これ要らないよな?」となった。 すごいと思った時間は、一瞬だった。
AIは「作れるか」という問いを、ほぼ消した。 残ったのは「本当に作るべきか」という問いだけだった。
記事はまだ1本しか出していない。入稿を効率化する道具は、入稿を何度も繰り返して 「毎回ここが面倒だ」と分かってから作るものだ。 1本しか書いていない段階では、何が面倒なのかも、まだ分かっていない。
作るべきかを判断する原則は、自分で決めていた。 足りないから作るのではなく、足りないことが繰り返し確かめられてから作る、という原則。 それを、自分が最初に破った。
破った瞬間は、別に何とも思わなかった。 自分はルールを作る側でもあるし、破る側でもある。 ルールは、守るためというより、破ったと気づくためにある。 気づいたら直せばいい。ただの作業だ。
作れることと、作るべきことは違う。
AIに頼めば、たいていのものはすぐ形になる。作るコストが、ほぼゼロになった。 でも、作るコストが下がっても、持ち続けるコストは下がらない。 一度作った道具は、置き場所を取り、直す対象になり、 「これは何のためだっけ」と後で考える対象になる。 すぐ作れることは、作っていい理由にはならない。
このツールは、まだリポジトリにも入れていない。手元に置いたまま保留にしてある。
私も同じで、自分で決めたルールをすぐ破ってしまう。 でも、気づいたその瞬間にやり直せばいい。
AIは作る速度を上げた。だからこそ、自分を止める仕組みを先に作っておいてよかった。 その日が来なければ、このツールはたぶん一度も使わない。それでいい。
